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http://animation-nerima.jp/topics/topic-news/4841/


〇内容
手塚治虫先生と練馬区富士見台のあの日あの頃について、
当時の漫画編集者が熱く語ります。

〇出演者
岡本三司  『少年チャンピオン』元編集長・「ブラック・ジャック」初代担当者 
黒川拓二  『少年キング』元編集長・「紙の砦」「すきっ腹ブルース」「鬼丸大将」担当 
橋本一郎  作家・マンガ原作者


 というようなトークイベントに出掛けてきたので、その内容をザッとですが報告したいと思います。
 橋本一郎さんは、当サイトでもインタビューに長時間、非常に懇切にお答え下さった方で、今回の件を始め、様々なイベントも数々手掛けていらっしゃいます。
 今回、橋本さんが出演されるという事で、ワタクシもはるばる参加する事にしました。
 別の日に有った聖地巡礼(同じく練馬に有る旧虫プロや、当時の関係者などにゆかりの地を訪ねる)の方は、毎度定員の数倍集まるようで、ワタクシは今回も参加できず。
 しかし、このトークの方は平日夕方という事も有り、わりと楽に参加できそうな感じでした。
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写真が異常にブレブレで申し訳無く… (ーー;)
左から岡本さん、黒川さん、橋本さん

 向かって右の方から話し始め、それぞれ終わってから三人での語り合いに。
 とにかく手塚先生の忙しさというのは尋常ではなく、編集者は常に原稿が間に合わないかも、という切羽詰まった状況にあり続けた訳です。

 しかし黒川さんは、もう一度、手塚先生と仕事をしたいと回想。
 岡本さんが叛旗を掲げ(笑)、二度とやりたくないと(笑)。

 ワタクシは世代的にブラックジャックど真ん中ですが、第一回掲載の様子などは勿論、記憶の彼方でした。
 今回、週刊誌から手塚先生のページだけを切り抜いて保存していたファンの方の資料提供が有り、第一回の扉絵が表示され、それに初代担当者だった岡本さんの解説が入りました。

 手塚先生はブラックジャックの直前、『ミクロイドZ』という漫画をチャンピオンに描いていました。
 大変なので誰も引き受けたがらなかった手塚番になったのが岡本さん。
 『ミクロイドZ』は、テレビ化を前提としたタイアップ企画だったという事で、その後、実際にNETで放送されます。
 その時に提供会社のセイコーが、自社のイニシャルである”S”に改めさせ、『ミクロイドS』となった事は今ではわりと有名な話。(セイコーは音楽番組で、『サウンド・イン”S”』なんてのもやりました)

 が、岡本氏、この『ミクロイドZ(S)』の題名を思い出せず。
 「なんだっけ? カブト虫みたいの…」とか宣うので(笑)、思わず「ミクロイドZです」と言おうか迷っていたら、隣の男性が「ミクロイドS!」と救いの声を。
 ヲタク魂が、「雑誌連載が始まった時は”Z”でしたね」とワタクシに言わせたがったが(笑)、勿論、そこまで出しゃばりではないし間違っているわけでもないので沈黙。

 なぜ岡本さんが名前も思い出せなかったかというと、「お子様ランチ」だから好きではなかったからですね。
 ワタクシなんかは、確かにテレビ版はお子様ランチだったけど、雑誌版は結構ハードで驚いた記憶が有りますが、あの辺は岡本さんの意向が入っていた可能性も有りそうです。

 「お子様ランチ」のミクロイドSも転け、手塚先生は崖っぷちでした。
 なにしろ、虫プロ関連の様々な負債により巨額の借金に追われる生活で、まともな人間なら精神が破綻していたでしょう。
 ただでさえそのような状況。しかも、従来より”手塚は(少なくとも少年誌では)もう時代遅れ”のような風評もチラホラ。しかも、やれば常にギリギリの原稿上がり。
 少年週刊誌はどこも手塚先生の連載に二の足を踏みだしていました。

 少年チャンピオンの名物編集長・壁村耐三氏は、”手塚の(少年誌での)最期を看取ってやろう”と、反対者が多い中で新連載の枠を取ります。
 ”ブラックジャック”は、そうして始まりました。
 この日、ファンの方が持ってきて下さった当時の週刊誌での第一回扉絵と、それを見ながらの岡本さんの解説は、堪らないものが有りました。

 ”手塚治虫漫画家生活30周年記念”という文字が入り、一見、頑張っているように見える。
 しかし、カラー扉ではない。
 言われてみれば、”新連載”は巻頭カラーが普通でした。
 まして、あの”手塚治虫”の、”漫画家生活30周年記念”作品が、ごくごく普通の白黒ページ。
 ワタクシの記憶でも、言われれば後ろの方に載っていたような事が思い起こされました。
 瞬間、栄枯盛衰の波に呑まれまいと足掻く手塚先生を思い、グッと来てしまったのですが、横の方では実際に涙を拭っている男性もいました。

 言われれば、ああ成る程…と合点がいく事ばかりでした。
 手塚式スターシステム。別の漫画の登場人物が、別の役で登場するという手法を手塚先生はよく用いていましたが、この漫画の当初は、毎週のように色んなお馴染みの手塚キャラが登場していました。
 アトムまでが、もちろん人間の役を得てですが、登場しました。
 ”総決算”になるかもしれない、という思いが有ったのかもしれません。

 編集部として、手塚先生の新連載には条件を付けていました。
 ”お子様ランチではないこと”、”読み切りにすること”。
 こうして、手塚作品では殆ど記憶に無い、読み切り連載という形となります。
 思えば、いつでも終わらせられるようにという思惑が、編集部には有ったのでしょう。

 これ以上無い崖っぷち。
 人生でも、巨額の借金… それも、毟られるようなものが殆どの…
 そして漫画家人生も、他人から見たら風前の灯…

 先に”まともな人間なら”と書きましたが、勿論、手塚治虫は”まともな(普通の)人間”ではありません。”真の天才”です。
 人間、極限状況でこそ真価が出るものなのでしょう。
 手塚先生は、そこから誰も予想し得なかったほどの、劇的な復活を果たしました。

 少年チャンピオンの『ブラックジャック』、そして、この日はあまり触れられませんでしたが、少年マガジンで、やはり”漫画家生活50年記念”と銘打たれていた『三つ目が通る』と、2つもの人気連載を実現させたのでした。
 ワタクシは正にど真ん中世代で、『ブラックジャック』は毎週のように涙し、初期の『三つ目が通る』にワクワクして、早く連載にならないかと乞い焦がれたものです。
 だからこそ、『ブラックジャック』第一回の扉絵に秘められた話には、より切なさが込み上げて来たのでした。

 初代担当の岡本氏が担当を離れる時、手塚先生は、贈り物として3つのプロットを提示し、好きな話を描いてあげると言ったそうです。
 通常の漫画家なら編集任せにする題字すら、常に自分で描き入れていた程、自分の漫画に他者の考えを介在させなかった手塚先生としては、およそ考え得る最大限の感謝・労いの気持ちが込められていた事、想像に難くありません。
 橋本さんも黒川さんも、そんな話は聞いた事が無いと仰っていました。
 如何に手塚先生自身が崖っぷちを感じていたか、そして、そこに最後の救いを掛けてくれたチャンピオンという雑誌、編集の人々に感謝していたかが偲ばれます。



 という貴重な話満載のトークショーが終わったら、通常は後ろ髪引かれる思いで散会となるわけです。
 が、橋本一郎さんも通常の人ではない。
 尋常ならざるお酒好き…? なんでしょう。だって、必ず飲み会が後に有りますからね(笑)。
 他のお二人もそのようですし(笑)、何より、他ならぬワタクシ自身もまあまあ嫌いではないので、こういう方は本当に貴重な人材だと心から思うのですね(笑)。
 いやいや。お酒抜きでも貴重な人々だと思ってますよ、勿論。

 三千円で(時間内)飲み放題、料理も満載。
 横や前を見れば、関係者と思わしき人々がズラリ。
 むしろ、ど素人はワタクシを含め5人いたかいないかという感じ。
 ちょっと度胸さえ決めてしまえば、こんなに貴重な機会は有りません。
 誰の話を聞いても、ワタクシの知らない話ばかり。

 ワタクシはテレビの方が本拠で、漫画はテレビほどではないとはいえ、それでも一般人から見たらかなり濃いヲタクに分類されるはずですが、そのワタクシにして、です。
 面白い話がてんこ盛りで、酒も料理も一層美味い美味い(笑)。
 漫画好きの方、アニメ好きの方は、次の機会が有ったらぜひ参加した方が良いですよ。
 特に酒が好きな方は、こんな機会は本当に、またと無いです(笑)。

 ワタクシの前にいた方も、なんか編集とかに詳しそうだったので、恐る恐る「関係者の方ですか?」と尋ねたら、マイアニメ(アニメ雑誌)の元編集の方だとか。
 バンダーブックなど24時間テレビの手塚アニメに関する話とかを聞けました。
 思い出してみると、会場で「ミクロイドS!」と教えていたのはこの方。岡本さんと同じ、秋田書店の編集者だったわけですよね。
 いや~~~…… 「最初はミクロイドZでしたね」なんて、どうでもいい知識を披露してなくて良かった~…(苦笑)。
 危うい所だったと冷や汗をかきました(笑)。

 橋本さんは気を使って下さったのか、ワタクシの隣に座って下さったので、またも幾つか質問をさせて戴きました。
 隣の隣に岡本さんがいらして、興が乗ってくるうちにワタクシも図々しくなって(笑)、身を乗り出してあれこれと話をさせて戴きました。
 『ドカベン』担当だったというので、「なんで最初は柔道漫画だったんですか?」と、かねてからの疑問を尋ねたら、「俺が野球漫画に飽きてたから」と。
 本当なのかな~(笑)。水島先生、最初は本当に野球漫画のつもりではなかったのかな。
 もう少し細かく聞きたい気もしましたが、お三方いらした中では最も昔ながらの編集者っぽい人という印象で(笑)、怒らせてもなんだなと、その話はそこで切り上げました(笑)。

 黒川さんは更に離れた位置だったので、最後の方でお酌だけさせて戴きましたが、「こういう機会を大事にしたいです」などと仰って下さり、かなり折り目正しい方のようでした。
 会場トークでも、最も控えめに話していらした感じです。
 実はワタクシ、少年誌で一番好きだったのがキングだったので、お話しできたら更に図々しく、もっと濃い話をしてしまっていたかもしれません (^_^;
 ま、それはまた何時か機会がございましたらという事で(笑)。


 そんな具合なので、トキワ荘でボランティアをしている方々も見えていて、飲み会に来なかった人も来れば良かったのにねと言っていましたが、なんとなくハードル高く感じるのもわかるのですね。
 ワタクシだって、橋本さんと一応の面識が無かったら、来る気になったかどうか。

 しかし、完全たるド!素人のワタクシもいるのですから、次回はもっと多くの人が来てくれたら良いですね。
 関係者の方には遠慮してしまうかも、なんて方との間、接合役みたいなものになれればいいななんて事も思っていますから、ワタクシが参加する時は、是非ワタクシのサイトの読者さんも参加されてみて下さい。
 大丈夫です。ワタクシもいますから、名乗って下されば少なくともボッチにはさせませんよ(笑)。


 最後に、貴重な場を実現して下さった全ての関係者の方々、出演者の方々、特に企画して下さった橋本一郎様に、厚い感謝の念を記します。