日高欽治(ひだか・きんじ)さん

昭和
12年12月13日
35年 3月 日本大学芸術学部 映画科 撮影専攻コース 卒業
    4月 株式会社東映教育映画 入社
36年12月 株式会社大広 東京支社 放送制作部 入社
46年 7月 退社
    8月25日 株式会社クリエイティブ・オフィス・Z 設立

日高欽治さんのフェイスブック



山田耕筰事務所時代

 日高さんの稿の第一回で少し書きましたが、日高さんは山田耕筰先生の事務所に勤めていた時代がお有りです。
 ワタクシは、その話を伺っていた時から、絶対に写真が有るはずだなあと思っておりましたので、先日、宜しければ先生との写真を発表しませんかと日高さんに持ちかけましたところ、快諾を得ましたので、以下に掲載させて戴きます。

 どれも貴重な写真なのは間違い無いのですが、取り分け一番最後の写真は、驚愕ものでしょう。
 『仮面の忍者 赤影』での青影がやっていた「ダイジョーブ」の真似なんでしょうか? 山田先生が、こういう形で戯けている写真など、これまで世に出ていないのではないでしょうか。
 お人柄が感じられるような、身内ならではの打ち解けた雰囲気と自然な表情は、世に出回る”山田耕筰”の心象に一石を投じるものとなるでしょう。

山田耕筰01


山田耕筰07


山田耕筰06


山田耕筰02


山田耕筰00



 また、日高さんはクリエイティブオフィスZを畳まれた後、老人ホームの施設長という畑違いのお仕事にも邁進された時代がお有りです。
 その時代のお話は、日高さん自らの筆をお借りする事としました。
 以下の文章は、日高さんの文を転載させて戴いたものです。
 (改行等は適宜手を加えさせて戴きました)


老人ホーム施設長時代


 1997年から2002年までの5年間、今迄に経験のない新しい大仕事に立ち向う事になりました。
 都内の150人位の入居者のいる有料老人ホームの施設長として入居促進の大役を仰せつかったのです。
 私をよく知る友人達は「日髙にあんな生真面目な仕事が出来る筈がないだろう、すぐ辞めるだろう」の多くの声ばかりでした。
 
 私にとっては全く畑の違った新しい仕事だと思って覚悟を決めて就任しましたが、今迄のベテランの施設長から、新しく広告会社から突然着任した素人の新任施設長に何が出来るのかと当初は入居者一同、そして看護婦さん、ヘルパーさん等の職員を始め殆どの方々は「こりゃ大変だあ~!こんな素人が来たんじゃ・・高価な入居費を支払って入居したのに私達はどうなってしまうのかな??」
 そりゃそうでしょう?いくら広告のベテランに何が出来るのかと誰でも思うのは当然の事でしょう?

 私もそれを感じましたし、でも自信がありました。私の得意な販売促進のお仕事です。イベントのプロフェショナルです。
私も意地があるADマンです。やるぞォ~の気持ち一杯のスタートでした。
一番大切な事はどんな商売でもお客様・・入居者のみなさんが喜んでくれる事をしっかりと掴んで差し上げる事が決め手です。

 私は本来はイベント屋ですから・・それなりの事を考えました。
 半年位は販促はスタッフに任せて色々知恵を絞って今迄の施設長が為されなかった事をポチポチとスタートしました。
 例えば入居者が一人で行きにくい回転寿司店巡りをして上げるとか、カラオケに連れて行くとか、友人である芸能人とか・・
 極く親しいボニージャックスとか噺家の仲間達を呼んだりする企画等、今迄の人脈を屈指して、ご老人達が楽しんでもらえるような色々な企画を実施しているうちに少しずつ入居者達も喜んでくれて打ち解けるようにもなり始めました。
 
 その結果。入居者の皆さんもご自分のお友達を入居者として多くの方を紹介して頂きその内に入居者も増えて諸々の方法で入居率も上がり、その内100パーセントの入居率になりました。
 これも又毎回こればかり言って恐縮ですが・・
 例のかっぱえびせんの(やめられない・・とまらないの)コマーシャルを作った施設長と言う事を入居者の皆さんも、職員の皆さんも知って頂いて、入居者の皆さんにも注目され、大きくこのコマーシャルの知名度のお陰で・・ホームのPRにも繋がりました。何処でどうゆうことが約に立つかは定かではありませんが、自分で言わなきゃ誰が言う・・私は宣伝屋です。
 その結果入居率も上がれば・・目的は達せられた訳です。

 ところが私自身の問題がありました。・・そしてホームの仕事が忙しくなればなるほど一緒に暮らしているオフクロの面倒を見て上げるのがおろそかになりました。
 身体も丈夫で性格も明るく元気なオフクロでした。
 ところがある時までオフクロも少々は軽い認知症が始まっていたのに私は気が付いていませんでした
 そしてその事実に何とおろかな息子だったのでしょう。健常者専門のホームとはいえ老人ホームの施設長たる私がそれに気が付かなかったとは?

 ・・と言うのは・・私がある夜、家に帰って玄関を開けて電気を付けるとオフクロが幽霊のように真っ暗の部屋の中にボ~と立っており、私に気が付くととハッと我に返って嬉しそうに(おかえり!)と声をかけてくれました。
 そして何事もなかったかのように私の為に作って待っていた料理を出してくれました。・
 私は全く何もなかったように普通にオフクロに接してごはんを食べましたがオフクロは嬉しそうにしていました。
 オフクロは日頃からしっかりしていましたので・・自分なりに気が付いていたのかも知りませんが、私に心配をかけまいと気を使ったのでしょうか・・?

 でも心配になって早速次の日病院に連れて行くと必死に病院の前で抵抗して病院に入るのをを抵抗して逃げ出しました。後日、再度病院に連れて行って・・診断してもらい、特別養護老人ホームを探して入院させました。
 私が入院させる時は狂ったように騒ぎました、
 牢獄にでも押しこめるのかと思ったのでしょう。
 あのときの状況は今でも忘れられません。
 でも特別養護老人ホームで亡くなりました。