さと・はる さん



 最初は、メールで問い合わせを頂きました。その辺の事情は、私的昭和テレビ大全集の方で書いております。
 当初は、そちらの方にコメントをして戴ければ多くの人にも報せられるのでとご案内したのですが、昭和20年生まれとの事で70を越えるお年のようで、パソコンになかなか不案内なご様子でしたので、これは、この探偵団として直接お話を伺ってしまおうと思い立ちました。
 その話にはご快諾戴き、関西の方との事なので、電話でお話を伺う形となりました。
 お話を伺う前に、メールで多少の取材をして、予め話す番組については多少決めてからとなっております。
 その辺の事情を踏まえながらお読み下さい。


 このように、パソコンに不慣れな方でも記憶を語って戴こうという企画です。
 テレビやラジオの想い出でお喋りしたい年配の方、又、そういう人が身近に居る方、是非お気軽にご一報下さい。
 遠方の方でも電話でお話を伺います。関東の方なら、電話でも、こちらから直接どこか喫茶店などに伺う形でもお請けしております。
 資料の残っていない昭和40年代初頭くらいまでの実見談を語れる方を募集しています。
 sammadaisensei@yahoo.co.jp




 

最初のご記憶は、やはりラジオ番組の方が強いでしょうか

 テレビじゃなくてもいいんですか?


ええ。世相の話など、とにかく生のお話を伺いたいという事ですので

 ラジオはね、『鐘の鳴る丘』。 ♪ 緑の丘の赤い屋根~ という歌と共に覚えてるんですよ。
 それとかね、『三太物語』。 「おらぁ三太だ」っていう。
 それと『新諸国物語』のね、『笛吹童子』とか。それから『紅孔雀』。それからね、『オテナの塔』。あと他にも有ったと思うけどいま思い出せません。



『白鳥の騎士』とか…

 あ、そうそうそうそうそう。そういうのも有りましたね。
 それで、それらの新諸国物語の笛吹童子とかは、後に映画になったんですよね。東千代之介さんとか。それからキンちゃん。中村錦之助高千穂ひづるさんですか。ああいう綺麗どころが出て。映画も見に行ったんですよね。


映画が昭和29年頃ですか。だから小学校の低学年の頃ですか…

 そうですね。 母が好きだったので、映画はよく連れて行かれましたね。


『鐘の鳴る丘』の映画はご覧ですか

 あれは見てないです。


テレビで放送された時、ウチの親父が喜んで見てましてね。
彼もラジオドラマも聞いていたと思うんです。 

 ああ、そうでしょうね、きっと。映画が有ったんですね。
 あれはね、ドラマがとっても面白かったんですよ、なんとなく。よく覚えてるわけじゃないんですけども。
 (戦災)孤児のね、話だったんですよ。バンヨウ先生って言って、何してる人らだったのかな。それの歌が付いてるから、それで覚えてるんですよ。普段は普通にしてるんですけど、突然ちょっとアッチの世界へ行ってしまうんですよね。それがドキドキするんですよ。いつそっちの世界へ行ってしまうのか。また元に戻るんですけどね。


アッチの世界というのは空想の世界という事ですか

 なんでしょうねえ。なんか平常ではなくなるんですよ。あれをもう一度聞いてみたいなと思いますよね。歌も歌うしねえ。とても楽しかったですよね、あの頃。


歌というのは、あの ♪緑の丘の赤い屋根 ってやつですか

 そうです。それとねえ、バンヨウ先生がアコーディオンを弾いて歌うんですよ。その歌がねえ、♪ ワッハッハー ワッハッハー とっても楽しい(笑)。益田キートンが確かその役したと思うんですけどね。
 当時の子供って凄いと思うんですよね。なんにも無い中であれを思い描くんですからね、頭の中で。他にスマホも何も無いし。ですけど想像力って凄いなと思いますわ。

※ その後メールで訂正が入りました。
  バンヨー先生をされていたのは古川ロッパさんとの事です。
  ワハハの薬というのを売り歩いていたとの事。
 

音楽は何かされたんですか

 音楽はピアノちょっと習ったりしてるんですけど。マンドリンとかねえ。昔の学生の時に、ちょっと。やっぱり音楽から先に頭に入るんでしょうね。


ピアノはお子さんの時に習ったんですか

 子どもの時とね、お務め行ってからちょっと、帰ってからやってたりしましたけどね。


先程聞いてアレッと思ったのは、お父さんがジャイアンツファンだと…
京都の方は必ずしも阪神ファンという事ではないんですね 

 それは珍しいのかもわかりませんけど、 阪神ファン、そんなに、みんながみんなじゃないですよ。


その頃はデーゲームですもんね、野球は

 そう…だったですかね… 夜だったと思いますよ。夜(ラジオを)聞いたねえ。


あ。ナイターもやってたんですね

  ナイターやってたと思います。聞き覚えが有るのは、樋笠選手が、逆転・満塁…なんですか。あれをしたの、いまだに覚えてるんですよ。(父親が)凄い興奮してね。夜だったんです。
 
 ※ プロ野球史上初の代打逆転満塁サヨナラホームラン(1956/3/25 読売対中日)
  ダブルヘッダー第二試合のため夕方5時25分まで試合が行われた。
  樋笠一夫はこれより前の昭和26(1951)年、その年の初ナイターの際に、広島から読売に移籍した最初の試合での最終回に、同じ杉下茂から代打本塁打を放っていた。
  プロ野球の初ナイトゲームは、昭和23年8月17日。


その放送を聞いてらしたんですね
あれはプロ野球史上でも有名な試合ですから

 いまだに言われますよね。
 でも、そうですか。関東でも阪神ファンの人いるでしょうに。


なんか関西の人って読売球団嫌いって印象が有るんですよね(笑)

 有るでしょうね、きっと。
 あの、野球の球場見たら、クレージーな人が多いでしょ。あんな阪神ファンってね、ちょっと私たちから見ても異常。


(笑) ま、大阪方面の人と京都の人ってまた違うでしょうからね

 違うんでしょうかね。結構ね、ジャイアンツファンっているんですよ。


やっぱり京都の方だと、皆さん落ち着いた雰囲気の場所なんですよね?

 舞鶴っていいますとね、福井県がすぐそこに有るような場所なんですよ。
 ですから本当に穏やかな。


あ、福井がすぐそばなんですね

 そうですね。そこに18までいたんですから。


舞鶴というと引き揚げ船が来ていたんですから、海に面していたんですね

 そうです。すぐそこに海が有るんです。
 

京都で海ってイメージがあまり無いんですよ

 結び付かないと思いますけどねえ。
 今でも自衛艦がズラーッといるんですよ。フリゲート?
 

お子さんの頃はテレビなんか無かったんですよね。 

 子供の頃はテレビなんか無いですよ。ちょっと横に逸れますけど、主人の話に拠りますと、力道山華やかなりし頃、主人の家ではテレビが入ってるんですよ。


旦那さんは昭和何年生まれですか

 1935年ですよね。昭和10年です。かなりの高齢なんですけども。
 力道山の試合が、みんなが街頭のテレビに群がって見た時代ですよね。
 それが(帰宅して)すぐ家を出てしまって、テレビを見に行くから。それが喫茶店に行くんですよ、主人の場合は。早く行かないと喫茶店が満員になってしまってテレビが見られないからという事で、奥さんがね、テレビを買ったという話ですから。


旦那さんのお母さんという事ですか?

 主人の(当時の)連れ合いですね。主人は再婚ですから。


あ、その当時の奥さん…

 そうです。複雑な事情でございますから。
 それが何年でしょうか。私自身は家でテレビ見てないですよね。だから、かなり遅いですよ。
 大体そんなもんじゃなかったのかな、この辺は。


街頭テレビなんて記憶に有ります?

 街頭テレビ、記憶に有りますよ。先程の話は神戸での話ですからね。


さとさんは、その頃どちらにいたんですか

 その頃は私、どこにいましたかね。 神戸ですね。働いてましたね、もう。
 学校卒業して、22から働きますでしょ。その頃は力道山の時代も過ぎてますけどねえ。働いてすぐにはテレビ買えませんでしたね、あの当時。
 いつからだろ。『ポンポン大将』の頃からですかね。ポンポン大将はいつ頃でしょう?


始まったのは昭和35年ですね。さとさんが15、6の時ですか

 あたしが? 15、6っておかしいですね、それね。


終わったのは昭和39年ですから

 いつのを見たかわかりませんけどね。『ポンポン大将』くらいが最初かな。それから『法善寺横丁』って御存知ですか?


関西の番組かもわからないですね

 そうですね、そちら入ってないかもしれないですね。大阪ものですからね。
 その時なにしてたか記憶が無いんですが。私、舞台を次から次と替えてるでしょ。舞鶴時代が有りの、神戸時代が有りの、で、途中でお務め辞めて帰ったとかあるから、そういうのがね。それが何処でどういう風になってるんだろう。


『法善寺横丁』は浪花千栄子さんのやつですね

 そうですそうです。花菱アチャコとか。


昭和38年ですね、これは。さとさんが18、9の頃ですか
高校卒業してすぐに働かれたって事ですか 

 高校卒業してすぐに…出て行きましたよね。ですから進学の時はテレビ買う余裕が無いですよね。学校の寮に入るって感じでしたからね。今みたいに独立して1DKで暮らすっていう状態じゃないですから。


寮のテレビでご覧だったんですかね

 寮のテレビが記憶に無いんです。有ったんでしょうか。無いと思いますよ。


大体、昭和39年頃ですよねえ、テレビのご記憶が。だから、さとさんが19歳頃だと思うんですよね。

 あ、間違い無いです。19歳の時はテレビ無かったですね、家に。
 

お友達の家とかですかね

 そうかもわからないです。


『法善寺横丁』は藤田まことさんなんかも出てますね

 はー、そうですか! 藤田まことさん、記憶ないな。


ミヤコ蝶々さんとか雁之助さんなんかも出てますね

 あ…! そうそう、出てましたね。


これ、どんな感じで覚えてらっしゃいますか

 そうですね… 今で言えば吉本新喜劇より面白かったと思うんですよね。


あ、これ喜劇ですか

 喜劇です、そうですそうです。ドラマ仕立てになってるんですよね。
 今よりね、一人一人の芸人さんが独立してて、芸も有るし、単独でも面白いっていう… ちょっと違いますね、今の吉本とはねえ。 


お笑いもけっこう好きだったんですか

 お笑い好きですよねえ。


どんな方がお好きだったですか

 そうですね、どんな人がいたか急に言われても… 花菱アチャコ、横山エンタツ… 藤山寛美さんも若かったと思うしねえ。 
 思い出した! (花菱アチャコ&浪花千栄子さんは)ラジオの『お父さんはお人好し』なんかもしたんじゃないですか。それでテレビに出てきたんじゃないかな。
 関東では放送されなかったんですよねえ。


いや、『お父さんはお人好し』は、東京でも放送してたみたいですよ

 あ、そうですか! 


これはアチャコさんと浪花千栄子さんがやってたんですね

 そうですそうです。あの二人が主役だったんでしょうねえ。


これも喜劇ですよね

 喜劇ですね。人情もの喜劇ですね。
 あれも楽しかったですねぇ。お笑いがね、あの頃って、そう無かったですからね。


家の中に自分のテレビが出来たのっていつ頃なんですかね

 それはですから、働いて… わたくしが三十…1、2? ぐらいじゃないですかねえ。


すると昭和五十年代に入ってって事ですか

 そうですかね。


テレビどころではなかったという…

 テレビどころではなかったです。


私だけが知っている』というのもご覧だったんですね

 これ見てますね。『事件記者』も見てますし。


「わたしだけが知っている…」っていう言葉で始まるんですよね

 そうですね。謎解きのもので、ずっと緊張感を持って見ていないとわからないんです。
 家族で見てたんだから…  私ね、途中で(実家に)帰った記憶も有るんですよね。
 神戸はずっといましたけど、 失業して帰ったりとか。そういう時に見たんでしょうかねえ。


いったん舞鶴にお戻りになった時にご覧になったんですね

 そうそう。『事件記者』なんかもそうなんかな。『夢であいましょう』もその辺でしょうか。


そうですね。その時には家(実家)にテレビが有ったという事ですね

 でもね、家にテレビが入ったのは、うちはそんなに早くなかったと思います。 


でも昭和38、9年には入ってるみたいですね
若い季節』なんかもご覧でしたか 

 そうですね。『若い季節』も、あの辺りでしたかね。黒柳徹子さんが活躍してたんですから。


そうですよね。何か覚えている事は無いですか

 楽しそうな職場だなと思って見てましたよねえ。ああいう所に働きたいなと(笑)。ところが現実はねえ(苦笑)、さにあらずで。
 


ほとんど遊びみたいな事をやってたんですかね、仕事ってよりも
『夢であいましょう』には渥美清さんなんかも出てましたけど 

 あ! 渥美清さん出てました!? 記憶無いです。
 (坂本)九ちゃんが出たりね。


そうです。九ちゃんも出てましたね

 九重佑三子さんが出たりね。あれも長い番組でしたけど、いつの間にか無くなってましたね。


虹の設計』、これは始まってすぐに佐田啓二さんが亡くなったのは覚えてらっしゃいますか

 始まってすぐでしたか? あれ終わってからではなかったですか?


ドラマが始まって4ヶ月位で亡くなって…

 は~~~…… 記憶無いです。


その後も出てましたか、佐田さん

 そうでしょう! 私、最後まで出演されてたように思うんですけどねえ。


一部、ビデオ使ったりはしたらしいんですよね
上手くビデオ使ったんですかね 

 そうでしょうよ、きっと。なんの支障も無かったように記憶してるんですけどねえ。


あれ、都合2年くらい放送してるんですけど、始まって4ヶ月くらいで佐田さん亡くなってるんですよね

 は…! あら…そうですか。いいドラマだったんですけどねえ。
 何か設計したんですよねえ。何か…橋かなんかでしたかねえ。
 あのドラマ、あの人も出てたんですよ。アンナさんのお父さんね。梅宮さんね。梅宮辰夫さん。
 辰夫さんのね、若かりし頃のね、スーツ姿が有るんです、あれにね。凄い若い時だから。あれはねえ、記憶に有るんですね。


梅宮さん出てましたか

 あの人(佐田啓二)の部下だったんですよね、きっとね。現場で働く技師かなんかだったんですよね、きっと。


ブーフーウー』ご覧だったというのは可愛かったからですか

 そうですね、子供の番組、割りかた好きだったですね。
 あれも歌が付いてましたでしょう。ですから、見るともなしに、習慣みたいな感じでねえ。


『ドラが鳴る』っていうのは、なんか覚えてらっしゃいますか

 これはねえ、とっても覚えてるんですよ、子供の番組だったんですけど、何回見ても楽しい番組でしたねえ。
 これがねえ、(いつどこで見たか)ハッキリしませんが、恐らく失業して(舞鶴に)帰ったんじゃないかと思います、この辺りでね。

 これがねえ、神戸が舞台でね、 5人の子供達が男の子ばっかりなんですけどね、仲が良い…ワンちゃん、ダンプにコッペにキー、ボルガっていうの、全部ニックネームが付いてて、子供達が神戸の街を、北野の坂を…あの辺りのお店屋さんの子供が居るんですよね。ロシア料理の家の子供とかね、そういう子供達があそこら辺で遊ぶわけです、ちょっと探偵ごっこみたいのしたりしてね。それがドラマになってるんですけど。
 それが楽しくて、私は神戸に憧れてたんですよね、子供の頃からずっと。そのドラマ本当に、筋書きも割りかた面白く作ってあって、ずっと見てたんです。 
 それで、北野坂に西洋館が有るんですね、外国の方が住んでた。風見鶏?…それでねえ、記憶が有るんです。
 それでちょっと神戸が有名になったっていうんですかね。 


そちらの方の人にしてみれば、こちらの横浜みたいな感じなんですかね、神戸が

 そう。そうなんですよ。横浜ほど、ハイカラじゃないんですよ、神戸は。船が着いて同じ様な状態なんですけど、田舎くさい所です神戸って言ってもね。


でも港町だから憧れるような風情が

 そうですよね。神戸神戸って皆さん、言って戴いてるんですけど、本当にノンビリした街でねえ。それがドラマにしてもらったいう事が嬉しかったいうのか、それでやっぱり、想い出に残るんでしょうかねえ。


で、『おねえさんといっしょ』ですよね

 そうです。その後でしょうかね。


コレ、歌は覚えてらっしゃいます?

 えーとね、♪ もうすぐ港のしーろい旗 いーま擦れ違った外人さん なーんて言ったかわかったわ うーみの向こうでパーパを呼ぶ うちーの坊やにもキャンディー買いましょう このカーゴの中に~

 言葉もねえ、ちょっと違ってるかもわかりませんよ、私の記憶ですから。


けっこう覚えてますねえ

 覚えてるでしょう。十朱(幸代)さんの可愛い姿と、声がねえ、とっても良かったですね。
 横浜でしょう、あれ舞台がねえ。だからなんとなくハイカラな感じがするし、お父さんが船乗りさんだし。内容が全然覚えてないんですよねえ。
 私たち関西から出たこと無いんですよ。だから関東っていうと憧れ有るんですよ。 こちら(神戸)は地震からねえ、凄く寂れかけてるんですよ。神戸にしても力が無くなって、本当に寂しいですよね。


兵庫にいらっしゃるわけですよね

 はい。


宝塚みたいなのは興味無いですか

 あ、宝塚は興味あるんですよ。この年になってしまいましたからね、それまでは母も好きだったので。
 いま卒業生が沢山、お笑いのとこに出て来てますでしょ(苦笑)。 嫌ですねえ。


昔は宝塚の人って憧れの対象ですもんねえ

 そうなんですよ。(今は)凄い、手近な所に降りてきてしまってますからねえ。ちょっと悲しいなと思いますねえ。


どの辺の方が好きだったんですか

 私は母に連れられていきましたのでねえ、私の記憶に有りますのはマルさん(那智わたる)、名前が出なくなってしまいました…
 明石照子さんの次くらいから行ったんですがねえ。


二つの橋』というのは?

 イタリアの病院が出てくるんですよね。それも歌が有ったんですね。安井昌二さんが主役になって。恋愛ドラマですね、要するにね。甘~いドラマですよね。それですから覚えてるんでしょうねえ。 


これ、日伊合作だったんですね。
ちなみにこれ、第二弾が有りまして『バリ島への道』っていうんですが覚えてないですか 

 『バリ島への道』…。記憶ありますねえ。内容は覚えてないです。
 

海外ものって事でご覧になったんでしょうか

 そうでもなくてねえ。惰性で、その時間に見てたんかなあ。
 
 




この稿は 2017年2月19日にお電話で伺ったお話を元に再構成させて戴きました。