テレビお色気史初の監督官庁指導


    昭和36年2月22日に、当時テレビ行政を監督していた郵政省が、とうとう一線を越えた行動を執(と)りました。
 テレビ局の中でも後発であるNHK教育テレビ、更にはフジテレビとNETテレビ(後のテレビ朝日)が放送免許更新という折りを見計らい、NHK以外の二局に「もっとためになる番組を」との要望を添えたのです。
 特異な概念として「gyoseishido」と、そのまま国際語になっているとも言われる、行政指導でした。
    おそらく、番組内容に踏み込んだものとしては、これがテレビ史上初めてのものだったでしょう。
 
    テレビ放送というのは免許制ですから、監督官庁に免許されなければ放送が出来なくなってしまいます。現実問題として、そんな事はまず有り得ないのですが、そのためにも、お上との関係は良好に保っておかねばならず、わざわざ指導してきた場合には、最大限それを尊重せねば命取りです。それは放送業界に限らぬ、民業の常識的行動と言えます。
 
    NETとは日本教育テレビ(Nippon Educational Television)の略で、現在のテレビ朝日は、元々はNHK教育テレビ同様に、教育テレビとして開局したものです。
 でありながら、こんな勧告を受けたというのもおかしな話ですが、フジテレビや、かつてのTBS同様、後発局が注目を集めるためには、エロ要素というのが大きな訴求力を持っていたという事でしょう。

 NETが注意された番組とは、具体的には『セブン・ショー』と『アンタッチャブル』でした。フジテレビの方は、『ピンク・ムード・ショー』がやり玉に挙げられました。
    『セブン・ショー』の基本的内容は、ポール聖名子(シリア・ポールという名からモコ・ビーバー・オリーブの一人となったオリーブの姉)や黒岩美代子、島崎雪子といった、きちんとした毎週のゲスト歌手の歌に、後ろでダンサーが踊るという形だったようですが、同じ後発局であるフジテレビのやる気に触発されたのか、教育局でありながら、「『ピンク・ムード・ショー』顔負け」と評されるセクシームードで演出していたのでした。
 勿論、胸を露出するといった事は無かったに違いないのですが、それでも郵政省から指導が入るような時代だったのです。
 
    フジテレビは水野成夫、NETは大川博という当時の両社長が呼び出され、新たに差し上げる再免許が切れる時までに、見違えるような番組にして欲しいと釘を刺されたのでした。
 遠回しに、さもないと次は免許しないかもしれませんよという恫喝です。
 
    背景としましては、当時はまだ、テレビ放送に参入したがる企業、それに群がる政治家がワンサといたのです。ですから、免許取り消しという言葉も、あながち脅しばかりと捉えられない切迫感を感じた事でしょう。
    肝を冷やしたフジテレビは、教育局という足枷を免れた身だったのに、教育番組10%、娯楽番組20%を全番組から割り当てて制作する旨を自ら誓ったのでした。昭和40年代まで、この時の誓いは守られていく事になります。
 
    一方のNETも、教育番組53%、教養番組30%という免許基準の遵守を誓う事となりました。
    この一件により、テレビでのエロ描写は、しばらくの間やや大人しめのものとならざるを得ませんでした。